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2008年6月25日 (水)

最高にかわいいほっこりさん(第9回ビフォーアフター)

Photo_9

実はずっと、あせっていた。
早く、ゴミ処理場に行かなければと。
間に合わせなくてはと。


『こんなことを考えてはいけない』
そう思いながら、いつも
実家の片づけをしたきた。

『こんなこと』とは、
「お葬式を出すことになった場合を考え、
 家の中を片付けておかなければ」

ということだ。

母が生きているのに、
お葬式を出すことを考えている。
縁起でもないし、
とてつもなく、親不孝ものに思えた。
しかし、口に出してはいけなくとも、
準備をするのは、自分しかいない。
覚悟をしておかなければとも、考えていた。


2度目のゴミ処理場に行けた時は
とりあえず、ホッとした。
(それでも、まだまだ家の中に
 不用品の山はできていたが
 あとは、すこしずつやろうと、考えていた)

そうして、ゴミ処理場に行くのを
待っていたかのように、
その4日後、母は亡くなった。


5月の連休が終わったあたりに
医者から母の経過が思わしくないと、話をされた。
肺炎のため、入院していたのだが
呼吸器はつけているものの
特に苦しそうでなく、
静かに横たわっている母なので
また、良くなってくれるものと信じていた。


しかし、食事も誤飲を恐れ与えられなくなった。
点滴だけで大丈夫なのだろうか?
でも、母が特に苦しんでいる様子も見せないので
見守るしかないのだ。
点滴をしているのだから、大丈夫だと
信じるしかなかった。


それから1ヶ月は
奇妙に落ち着いた日々だった。
混乱していた父も、いつしか
母の状態を静かに受け止めた。
母に会いに行く以外は
みな、いつも通りの毎日を送った。

不思議に平和で穏やかで
いつまでもいつまでも、その時間の中にいたかった

私、だんな、父 3人で
3人を思いやって暮らしていた。
もちろん、母のことも。
何も話さない母だけど母がいるから、
この穏やかな時間が保たれているのだと思った。

時折、
「人は何日食べずにいられるのだろうか??」
と、考え怖くなるが
母に伝わるから、怖がってはいけない。
母を怖がらせてはいけない。
いつも通りに「大丈夫だよ」と
声をかけ続けようと思った。


亡くなったときは、突然だった。
あまりにも、突然で信じられなかった。


しかし、
母が亡くなってから後の時間は
怒涛のように、過ぎていった。
亡くなって10分後には、
もうやらなくてはいけないこと山積みで
泣いていられる時間さえ、
なかなか捻出できなかった。


父はもう、混乱し
何も判断できない状態になっていた。

隣近所との付き合いをほとんど経験していない。
もちろん、諸々の法事なども
親がいるため、何もしたことがない。
そんな本当に世間知らずの私がいきなり
お葬式の手配をすることになった。


訳のわからないまま、押し流されるように
どんどん、物事は進んでいった。
当日は一日中、走り回っていた。
でも、言われるまま動くだけで
何がどうなっているのかは、全くわからなかった。


実家は古くから住んでいるので
特に、隣組の制度がばっちり残っていたし
親戚の方も、父が長男のため、
叔母たちには、「実家」「本家」という意識が強いため
かなり、段取りに関して、
見方が厳しいように私には感じられた。

母の死よりも、
隣組、親戚の人達の一言、一言が
心につきささり、
辛くて泣いていたぐらいである。

(少しひがみっぽくなっていたのであろうか??
 今、思うと我慢できるかもしれない。
 それにやはり、
 私ひとりでは、段取りなど組めなかったのだから。
 仕方のないことかも、ね。)


母のことで、思いっきり泣けたのは、
通夜の晩に、(私、だんな、父、母)
4人だけになった時と、
お棺に釘を打つ時である。


前日、母を棺に納めた時に、
「何か一緒にいれてあげるものはありますか?」
と、聞かれたが
何も入れるものがみつからなかった。

母の指輪を、父に預けておいたのだが
父は混乱し、「知らない」というのだ。

「生前、持っていたものとかは?」とも聞かれたが
なんということだろう!!
親不孝の私は、母のバックを捨ててしまった。
カビが生えていたから。
(母は、5~6年病んでいた。
 痴呆をわずらったため、
 バックを使っている姿は、遠い記憶となっていた。)


家を片付けるときに、不謹慎な私は
母が亡くなったら、捨てられなくなるから
 母がいるうちに、
 なるべく母のものは処分してしまおう。
 母に必要なものは、新しく買ってあげればいい』

そう、思い
母のものは取っておきたいモノでも
思い切って、捨てた。
お棺に入れてあげようなんて、思いつきもしなかった。


親戚の人が
「着物は?」と教えてくれたが
着物を着た母は、ピン来なかった。
ここ2~3年の母は、
(介護ホームにいたため)トレーナー姿がほとんどだった。

奇跡的に、私がどうしても捨てられなかった
母のベージュのスーツがあったので
それをお棺に入れた。

係りの人は、
「また、明日お別れの時にも、入れることができますから」
と、言ってくださったので、
考える時間ができた。


皆は、「テディベアを入れてあげれば」というが
私には、それは絶対にできなかった。
生贄のようでかわいそうすぎる。

そうだ!じぶんで編んだ帽子を入れてあげよう
そう、思いついてホッとした。



母のためのモノを見つけていると
作ったのはいいけれど、
小さすぎて使っていない小物が目についた。
「母にいいかも!」と、思うが
なんだが、要らないものをあげるみたいで気がひける。
他の自分が大切にしていたモノを
選ぼうと思うものの
母には、
その使っていなかった小物の方が似合う気がした。
感傷的になっている私は
「もしかしたら、この使っていないモノたちは
 母にあげるために作ったのかもしれないな」と
思い直した。

そうして、手編みの
グレーの冬用帽子と、
ピンクの春用の帽子と
若草色のバブーシュカと
青の花柄の布バックを入れてあげることにした。


「かわいいおばあちゃんになるのが夢」
という人が多いが、(私もそう)
母は中身はどうあれ、
よく人から
「かわいいおばあちゃんですね~」と言われた。
ホームの人もよく「かわいい」と言ってくれた。
中身はどうあれ。
(中身は意固地でわがままなのだ)


身長が130センチ台で、腰もまがっておらず
肌が白く、しわも少ないので
外見的にはかわいく見えるのだろう。

その母に、ピンクのお花の飾りのついた
手編みの帽子は、すごく似合っていた。
若草色のバブーシュカを首にまき
小さな花柄バックを手にもたせた。


すごく、すごく、かわいかった。
元気な母なら、
絶対に恥ずかしがって嫌がったかもしれないが
おあいにく様、私には、ホームでの
パステル色のトレーナーや帽子を身につけた母が
目の奥に焼きついている。。
絶対、地味な着物より、かわいい色の方がいいはず。

案の定、すごく似合っていた。
私が女として、嫉妬するくらい
きれいだった。


「最高のほっこりさんを演出できたよ。」
「最高のほっこりさんだよ!!」


そう、だんなに言った。
いとこにも、自慢した。
近所のおばさんは、「手編み?」といって
眺めてくれた。


学生の頃、母にマフラーを編んであげると
約束し、結局完成しなかったことがある。
母は楽しみにしていたかもしれないなぁ~。
遅くなってしまったけど、
自分の作ったモノを持たせてあげてられて
よかった。

出来ることなら、
このかわいいほっこりさんと、
この格好でお出かけできたらどんなによかっただろう

なんでもっと早く、
気づいて着せてあげられなかったのかな?
それだけが、(その他も)
心残りだったけど
さすがに、生きている時では
母が恥ずかしかったのかな?

最後に母が私のわがままに付き合ってくれたと
思うことにして、諦めよう。




追記
写真は、介護ホームの人が撮ってくれた
父と母が手をつないでいる写真です。
写真のようにいつも仲良しの2人で
ホームの人や近所の人に
いつもひやかされていました。

まだ、しばらく
母のことで色々雑務があったり
私の気持ちも落ち着かないため
ちょっと、お休みします。
また、再開しましたら、よろしくお願いします。

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コメント

心よりお悔やみ申し上げます。
大切だったお母様への思い・・・。
時間をかけてゆっくりと・・・。
再開待ってますよ。

投稿: ミヨチ | 2008年6月25日 (水) 21時37分

追伸
ご無理をなさらずゆっくりと再開されてくださいね。

投稿: ミヨチ | 2008年6月25日 (水) 21時50分

にゃにゃさん そういうことだったのですね
ほんとうに 大変でしたね
おかあさまのご冥福を心からお祈り致します
本当に仲の良いご夫婦だったのですね
お二人の手の表情に表れています
私の知人はお母さんが入院中に ぼちぼち不要な物の整理を始めて 
随分長い期間かかりましたよ
その前の代の荷物も山のようにあって 畑で家具とか燃やしたので 
煙が凄くて消防車が来たって・・・そのくらい大変なことよね
にゃにゃさん 疲れないように体もお大事にね 

投稿: うたちゃんの店 | 2008年6月25日 (水) 22時23分

ミヨチさん、メールもいただいて
ありがとうございました。
1日、1日、落ち着いていってます。
後の法事の手配や
事務手続きなどが多々あり
なかなか自分の時間がとれませんが
徐々に復活する予定です。
これからも、よろしくお願いします。

投稿: にゃにゃ | 2008年6月25日 (水) 22時33分

うたちゃんさん、ありがとうございます。
父と母は、娘の私でも間にはいれないくらい仲良しでした。
「不用品の処理で、消防車が!」
ちょっと(不謹慎ながら)笑ってしまいました。
誰もがいつかは、頑張ってやらなければ
いけないことなんですね。

投稿: にゃにゃ | 2008年6月25日 (水) 22時42分

お悔やみ申し上げます。

人は何故滅さなければならないのでしょうか?最愛の人を無常にも奪っていく・・

心の傷もいえて来たらまた日記書いて下さい。

投稿: ルイ | 2008年6月25日 (水) 22時49分

ルイさん、こんばんわ。
ありがとうございます。
最近、母を思い出す時、
呆けていた母でなく、
私が小さな時、優しくしてくれた
元気な母を思い出すことが多くなりました。
(その点はいいことでしょうか?)
また、よろしくお願いしますね!

投稿: にゃにゃ | 2008年6月25日 (水) 23時07分

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