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2009年4月28日 (火)

『あの家』のこと 2/4

主人も若くて、私と別れたくもなかったのだが、

同時に親にも
何も言い出すことができなかった。

(→ 『あの家』のこと 1/4回 より 続き)



主人は、『俺が家を出るよ』と言って、

アパートを借りた
(今、私たちが住んでいるところである)


私は、何故、主人の方が家をでるのか?

何故、両親の方があの家をでないのか?


問いただしたくても、
まだ。知り合ったばかりの主人に、
核心に迫る問題を突きつけるのは、怖かった。


何も言い出せず、
なんとなく、そのまま結婚してしまった。

本当に若かったし、考えも浅かった。
そして、
主人を失うことも怖かったのかもしれない。

義父は私たちが結婚したとたん、
仕事を辞めてしまった。

結局、住宅ローンはもちろん

生活費
アパート代も、
私たちが支払う羽目となった。



私も最初は、家のローンを返そうと頑張って
働いた。

でも、それらを支払うと、
自分たちの手元にはいくらも残らなかった。
(それは、そうだろう。どう考えても無理だ。)

新しい暮らしというのに、何も買えなかった。

1人っ子の私は、
今まで欲しいものは全て与えられ、
お金の苦労はしたことがなかったので
とても辛かった。



一生懸命、電気代、ガス代を節約しているのに
義父の家は、うちの倍以上の金額がかかった。


それを思うと、馬鹿らしくて、悲しくて
いつも、憂鬱な気分になっていた。

働くことも嫌になってしまった。



大多数の人の新婚生活は楽しいものであるだろうが

私は結婚したとたん、
自分ではどうもがいても改善できない
大きな壁、絶望を感じて
性格がかなり、引っ込み思案になってしまった。
(そう、これでも)

(独身の頃は、がむしゃら。
 自分で努力すれば、
 何でも手にすることができると思っていた。)



でも、それでは、どうやっても
生活していけるはずがなかった。

半年くらいしたら、
義父、義母も譲歩し
主人からあの家を借りているという形で
家賃として、いくらかローンを支払い

そして、電気代、ガス代も自分たちで支払うようになった


しかし、毎月微々たるものかもしれないが
我が家からも、(アパート代の他に)
「あの家」のために、
お金を支払わなければならなかった。




主人は
「俺の家だから」「責任があるから」と言うけれど

自分たちが住んでいないあの家に
毎月ある程度のお金を支払うのは、
私にとってはとても辛いことだった。


主人といる限り、
私は一生、自分の家を持つことができないのだ。

いつまで、アパート暮らしを続ければいいのだろう・・・


いつも未来に対する不安がつきまとい
自分たちの生活の未来のビジョンが描けなかった。

何かあると、あの家のことでけんがばかりしていた。



そんなことを10年以上、続けてきた

私は知らず、知らずのうちに

嫌らしい、押し付けがましい感情を抱えるようになっていた。



「我慢しているのだから」
こんなに我慢しているのだから

だからきっと

義父、義母、義兄、義姉も
 きっと私に感謝しているだろう
。」

(否、感謝して当然だ。)

何しろ、私たちは、アパートに住み
そのお陰で、義父たちは新しい一軒家に住めた。
そしてその家に義姉も
子供を預けにくることができるのだからと、


でも、そんな嫌らしい私の期待はみごと
外れていた。

感謝どころか、皆の気持ちは


『私たちは、勝手なことをしている
 何故、あの家に住まないのだ。


 あの家に住めば (私たちを除いた)
 全てのことが、丸く収まるのに。』

といった、批判だった。

ショックだった。


一言でいいから、
『ありがとう』と言ってもらいたかった

でも、
誰の口からも聞くことは、未だできずにいる。


(主人の実の姉だけが、
 義父の家に泊まりに来る時
 主人に「お邪魔してるよ~」と言ってくれた。)



主人は、

『悪いな~悪いな~
 うちの親がごめん』というが

主人に何か言って貰いたい訳ではなかったのに。





そして、3年前
ある事件をきっかけに

私は
あの家を処分しようよ
 あの家があるから、面倒なことが降りかかってくる。

 もう10年以上、辛抱したじゃない。
 もう、充分だよ 』

と、主人に提案した。

主人もさすがに疲れたのだろう。
そうしようということになった。



その頃には、私の母が介護が必要となっていた
介護ホームに入所していたのだが、
実家にひきとりたくても、
家が古くて、トイレにいれることもできない。

なんとか、母がいるうちに、
きれいな家に住ませてやりたかった。

私はあせっていた。



「あの家」を処分できたら、ローンがなくなる。

そうしたら、新しい家を建てられるかもしれないと・・・



不動産屋を何件もまわった。


しかし、主人たちが選んだ場所は、田舎町。

バブルもはじけ、土地の資産価値も大幅に下がった。



そして、「あの家」を処分するには

900万円近くはかかるという。
それも、即金で。




(あえて書きますが、
 10年以上ローンを払い続け、
 更に現金900万円を支払っても
 何も残らないのですよ



そんなこと、できる人いるのだろうか・・・?

私には、できない。

もちろん、900万円なんて持ってない。



住宅ローンの金利も高かったので、
借り替えたかったが、
同じく土地評価額が下がったので、それもダメだった。


更には、あんなところに家を建てるなんて
だまされたのではないかと、
言う人もいる始末・・・・


(私にとって、苦しかったのは、わがままだが、
 自分で選んだ結果なら、全てが諦められる。

 でも、土地の選択から何から、
 他の人達によって行われたのに、その責任が
 自分にかかってくることだった。

 主人も関係するのだから、仕方がないだろうが
 割り切れなかった。)



周りを敵にまわし、
それでも処分しようと、決めたのに、この結果。

諦めるしかなかった



他にも、この時同時に、
私にとってとても辛い事が発覚した。

一度に色々なことが起き過ぎて
どうにかなってしまいそうだった。



そして、本当に辛い時は、泣けないのだなと、
生まれて初めて、泣き虫の私は思った。

泣き出してしまったら、
もう自分を立て直すことは出来ないと思った。

一生懸命、口角をあげ、笑顔を作り、
「大丈夫、大丈夫」と、

腕をまわし、自分自身を抱きしめながら、
毎日、当ても無く、町の中を歩いていた。
(家の中でひとりではいられなかった)



もういい。仕方ない。
あの家を処分するという、夢は捨てた。
(お母さん、ごめん)

義父たちも、
初めて家を持ってうれしかったのだろう。
処分できないのなら、
そのままそこに住んでもらおう。


でも、もう家から、お金を出すのは沢山だ。


と、私は告げた。


その時、起こった事件で
私たちを、今まで苦しめてきたことを
少し悟ってくれた

義父、義母はそれに同意した。




(つづく)


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