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2016年3月29日 (火)

2月の庭にて

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2月の寒い庭です。

12月から続けてきたバラの誘引も

ひとまず、無事終わりそうです。



今年は間に合わないかと思いました。



お正月から、色々な出来事があったからです。






一番、大きな出来事は、

今月の初めに義父が亡くなりました。



今頃、2月の日記で、すみません。

 忙しくて、なかなか続きがかけないまま、

 時間が経ってしまいました。

 長い独白のようなものですが、

 ご興味があったら、続きをお読みくださいね。)




11月から、何度か、ブログを書きかけ、

途中で断念して、

今度も、もっと違うことを書こうと思っていたのですが、


やはり、義父のことを書かなければ、

先に進めないなぁ~と思います。





義父は、年末頃からちょっと調子が悪く、


病院にいっても、

風邪でしょう)という診断で、

特に悪いところはなく、


微熱が下がらなく、寝ていて、

ご飯もあまり食べられないようでしたが、


まさか、寝込んで1か月もしないうちに、

亡くなってしまうとは、思ってもいませんでした




義母と一緒にこたつで寝ていて、

気が付いてた時には、亡くなっていたようです。





苦しまず、自宅で亡くなれて、

理想的な死に方だと思いますが、

私は全然、心の準備ができていなかったので

とても、動揺しました。


内心、義母の方が、先に逝くだろうと思っていたくらい

義父が亡くなることは、考えていませんでした。




この間まで、あんなに元気だったのに、


最後に会ったときは、

いつものように、皮肉を言われて、

(あいかわらずだなぁ~~)


と、もう慣れっこで

内心笑って帰ってきたのに。




この記事をどんな人が読んで下さるのか、わかりません。


そして、いつも読んでくださっている方でも、

昔、昔に書いたうちの事情などを、読んで下さったか、

読んでいても、忘れてしまっているかもしれませんね。





私は、数年前までは、義父を恨んでいました。



本来は、インテリアブログであるこのブログ。

インテリア大好き!

いつか、自分の好きな家に住みたい。

10代の頃から、ずっといつか住めるであろう

自分の建てる理想通りの家に憧れていた。



でも、私の結婚した相手は、

もう家を建てていて、住宅ローンを払い始めたばかり。



そして、その家には、夫の両親が住んでいた。



(両親から、土地をゆずりうけたわけでもない。

家も土地もローン。)



そして、その家には、近所に住む

夫の兄が、子供を預けに来る。


(夫は次男。姉、兄、の末っ子である。)


リビングに大きく飾られた、夫兄の子供の写真。



私は、絶対にこの家には住めないと思った。





でも、夫は、自分の両親には、出ていってほしいとは

言えなかった。



私たちが、アパートを借り、

この家のローンを払った。




働いても、自分の好きなものが買えない暮らしに、

私は、働くのが嫌になった。


当初は、家のローン、電気代などと

自分たちのアパート代生活費両方を負担していた。


働く限りは、それが続くのかと思うと、ばからしくなった。



そして、それから、話し合いの末、

毎月ローンの一部を、負担することで

許してもらえるようになった。



それでも、自分たちの住んでいない家。

いつも兄夫婦がいる自分たちの家。


その家のお金をわずかでも、払うことに

私は、内心納得がいかなかった。






なぜ、こんな暮らしをしなくては、ならないのか。


いつも不安だった。



いつも、泣いていた。

私は、一生家を建てられない。

一生、アパート暮らしなのだろうか・・・・




我慢している。

夫の実家のために尽くしているつもりだったが、

夫の両親は、そんな風には感じてくれなかったようだ。



お礼も、詫びも言われたことは一度もない。

かえって、一緒に住まない私を恨んでいたのではないだろうか


あまり優しいとは、言えない態度だった。

特に義父は本当に。。。




13年半、アパートの暮らしが続いた。


夫両親も、ローンを払うのは、大変だと言い始め、

支払いが滞るようになり、


私の父が母が亡くなったことで、認知症になり、

近所に迷惑がかかるので、

一人っ子の私がひきとらなければならなくなった。



父の家は、築90年、

ぼろぼろで、そこに一緒に住むことはできなかった。





そこで、ようやく、私たちが、

夫の家に住むことになった。




あの家さえなければ、

あの家さえなければ、



いつも火事で燃えてしまえと思っていた あの家に。



ようやく、自分たちの家に住めるのに、憂鬱でたまらなかった。

だって、私が選んだ家じゃない。

私の好きなところは、ひとつもない。



でも、仕方ない。

周りからどう思われても、それしか方法がないと思った。


(私の父は、結局、自宅では、面倒がみきれずに

 ホームに入所することとなったのだが)




最初は、ゴミだらけだった。

家の前にゴミの山ができていた。



それを少しずつ、片付け始めた。



もう、この家に越してきて、6年半。



ようやく、落ち着けるようになった。


新しい家、自分の好きな家に対する憧れは

無くなったとは言えないが、

ここが自分の家なのだと、ようやく思えるようになってきた。



夫の両親も、この家の近所に

貸家を借りたので、

以前よりも、距離が近くなった。




そして、引っ越すときに、

夫両親は、ローンを貯めていき、

その返済には、私の父の貯金を使った。



他にも、お金のことで、いつも

夫両親には、煮え湯を飲まされるような出来事が多々あり、

私は、腹を立てていた。





でも、距離が近くなり、

義父も全額までとはいかないが、

毎月1万でも2万でも、うちに返済してくれるようになり、

少しずつ気持ちは、ほどけていった。


(でも、最後に会った時も、憎らしい口を利いた義父だった。)

その義父が。。。。。 突然のことが、本当にしんじられなかった。



昔は、

『義父が死んでも 私は、 葬式にでないよ』 と、

怒って 主人に宣言していた。



その人が、居なくなったことが、

こんなに、寂しく思う日がくるとは、思わなかった。






告別式やお葬式は、友引が、入ったので、3日位先になった。


義父の家の片付けをすませ、
家で、時間をもてあまし 庭で、ボーとしていた。


その時なぜか、

義父、この家は、受け継いだよ。守っていくよ。』 という、

考えが頭に浮かんだ。




以前、義父が、この家を出て行くとき

「俺も必死でこの家を守った」 と夫に言っていたそうだが

その時、わたしは、

( 自分がこの家に執着していただけじゃないか) と、思っていた。



「お前たちには、あの家が必要なんだろう」

と聞かれたときも何も言えなかった。



築15年経ったボロボロの建て売り住宅。

粗大ゴミつきの家は、 出来れば、逃げ出したいくらいだった。


住宅ローンさえ残っていなければ。



(売って処分するには、多額な現金で決済しなければならない。無理すぎる)






でもなぜか、その時私は、『 義父、この家を受け継いだ守っていく』と、

心のなかで約束してしまった。



そして、唐突にいままで思ってもいなかった考えが浮かんできた。






頭金払っていたと思えばいいんだ。




そんな風に考えたことは、一度もなかったし、

いつも、(自分は、可哀そうだ) 

という考えばかりの私は、思ってみたこともなかった。

義父たちに払っていたのではなく、

自分たちの頭金を払っていたのだ



その上、その中古住宅は、知らない人ではなく、

義父義母らが暮らしていたのだから、

よい物件ではないか。


義父たちにも、親孝行できたし???



もう、恨む必要ない。


もしかしたら、得をしたと思えばいいのではないか。


なんて、考えが浮かんできた。



なぜ??


もう、私はこの家に対する恨みは、ほどんど消えていて、

義父母とは、接していたが、


(義父にいやみをいわれても、夫そっくりな言い方なので

 「はいはい仕方ないね~」と、内心思っていたし

 こっちも結構、言いたいことを言っていたこともあるのだ。)


頭金だという考えは、到底浮かばなかった。



やっぱり、義父がいなくなってみて、初めて

守られていたという事実が、

頭の中によぎってきたのだろうか・・・




いつの場合もそうだとは、言えないだろうが


両方とも揃っていた

高齢の親を片方だけでも、亡くすということは、

両方の親を同時に亡くすことと、同じようなことだと思う。




親自身は生きているが、

自分を庇護してくれる親、家庭は、

片方の親を亡くした時に、崩壊するのだと思う。




私の実家はそうだった。

母が死んだら、父も、父親でいることを放棄した。


呆けて、自分が守られなくては、いけない存在になった。



今度も、義父が亡くなった時点で、

義父の家庭も崩壊した。



義母も呆けた。

義兄の手にゆだねることとなった。

(そして、ホームに入ってしまった)



もう、遊びに行きたくなくても?

遊びにいく、実家は私たちには、なくなった。



夫がかわいそうに思え、

同時に、私も、

もうたとえわずかでも、

心配して守ってくれる人たちはいなくなったのだと、

義父の死以上に世の中が、無情に感じられた。



いい年をして、何をいっているのだと思われるだろうが、


夫をはぐくんできた、家庭が

何十年もかけて作り上げてきた家庭が

義父の死とともに、今なくなってしまったのかと思うと、

 

自分と夫がふたりだけの風ふきすさぶ、

荒野に放り出されたような気もしていた。




義父の死で、悲しむことは、ないと

思っていた私だが、

思っていたより、悲しかった。



他にも、色々と、夫の兄弟、自分の身の置き所など

考えることがあり、

義父の死は、

私に、たくさんのことを学ばせてくれた。




でも、もうこの家に関して、

恨むことはなくなったのだ。



(新しい家は今でも、憧れてやまないが。。。。)


私が心にしょっていた思い荷物を

義父が少し、あの世にもっていってくれたのだと

思っている。



義父、義母の暮らしていた家の方を眺めると

今も心が痛いが、

夫が何も言わずにいるので、

私もこのまま、

時が過ぎていくのに、まかせようと思う。





義父、この家を守っていくから。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

なんと言葉をかけたら良いのかわかりません。
以前より、ブログを拝見していて、更新が開いていたので、心配しておりました。

なかなな自分の考えを変える?変わる?のは難しいと思いますが、とても良い人生になっていくのではないでしょか。

私も見習って、良い方向に向かうよういろいろ考えたいです。

投稿: | 2016年3月31日 (木) 12時15分

???さん、こんにちわ。

ブログが更新できなかったのは、単に私が
横着なだけです。
ご心配おかけしまして、ごめんなさい。

辛いことがあると、その辛さにまいってしまって、
別の考え方は、なかなかできませんが、
なるべく、いい方向に考えたいですよね。

私の場合は、時間がかかってしまいましたが、
それでも、いつかは、
少し楽になれる日がきますね。good

投稿: にゃにゃ | 2016年3月31日 (木) 15時53分

1年振り(以上?)にコメントさせていただきます。
時どき更新されているのを、見逃していませんよー。
遣る瀬無いこと多い日々ですが
小さな喜びや楽しみ見つけて
自分を引っ張っています。
以前に愛猫を亡くしたと書いたのですが
昨年にかわいいオスの仔猫との出会いがあり
心の支えになってくれています。
荒野に放り出される。。。
我が身にも響くことばだなー。

投稿: ゆみ | 2016年4月 5日 (火) 10時03分

コメント非公開さん、こんにちわ。

ブログをご覧いただき、コメントをいただき、
ありがとうございます。

いつ更新できるかわかりませんが、
よかったら、またいらしてくださいね。

投稿: にゃにゃ | 2016年4月 6日 (水) 13時48分

ゆみさん、こんにちわ。

コメントありがとうございます。
猫ちゃんとの暮らし、楽しんでくださいね。
うちのもふもふも、何かといつもそばにいてくれて、
お手伝いしてくれるので、助かっています。

投稿: にゃにゃ | 2016年4月 6日 (水) 13時50分

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