古民家ビフォーアフター

2016年12月19日 (月)

「大変」な時は、「大きく変わる」時

Img_20161219_205306612x816_4


写真がないので

LIVE??にゃお を載せます。

およそ5分くらい前のにゃおです。




今年中に1度は、更新しようと思っていたので

大急ぎの日記です。


 

続きを読む "「大変」な時は、「大きく変わる」時"

| | コメント (18)

2016年11月21日 (月)

ミナペルホネンのはぎれで、

008_2


お久しぶりです。

しばらく、ブログが書けませんでした。



でも、更新していなくても、クリックしてくださる方、

がいらっしゃるので、(ありがとうございます)

そのためのお返事のために、書いてみようと思います。





まずは、いつか書こうと思っていたこと。



ミナペルホネンの端切れで、クッションを作りました。







続きを読む "ミナペルホネンのはぎれで、"

| | コメント (2)

2011年6月13日 (月)

第15回 私の古民家ビフォーアフター 職人魂と斉藤さん

Img_3628


またまた超久しぶりとなった実家の話です。



このあいだ、実家の雨漏り気になると

書いたのが2月下旬。。。。

第14回 私の古民家ビフォーアフター ~再開~

続きを読む "第15回 私の古民家ビフォーアフター 職人魂と斉藤さん"

| | コメント (8)

2011年2月24日 (木)

第14回 私の古民家ビフォーアフター ~再開~

本当に久しぶりの

古民家ビフォーアフターです




ここに、よく来てくださる方でも、

こんなカテゴリーがあったのを
ご存知の方も

あまりいらっしゃらないのでは。。。?


というくらい、久しぶりです。





実家の


築100年以上。ただし、古きよき100年経過でない。

まさしく、テレビのビフォーアフターにでてくるような

変な間取りの築100年


片づけを書こうと、思って

実は、始めたこのブログ。



(第1回 ゴミの山 
http://old-new.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_5780.html  )

書き始めた途中で

母の死があり、

話の流れの途中で、書かずにおれず、



そのうち、父の介護日記??のようにも
なってしまった

このカテゴリー

第1回~第8回は片付け 
 
 第9回~第13回が介護かな・・・)


(その後の話の流れは『我が家にするまで』の

 『あの家』のこと 第1回 
http://old-new.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-32fd.html






母のお葬式や

父の在宅介護のあいだ、


実家のご近所から、色々苦言を呈され、


自分的に、深く落ち込んでしまい、

しばらく、

実家に近寄ることもできなくなってしまったのでした







続きを読む "第14回 私の古民家ビフォーアフター ~再開~"

| | コメント (6)

2010年6月11日 (金)

紙に書けなくなったので

ふと、パソコンで調べ物があり
調べているうちに、
なんだか、日記が書きたくなった。

ブログを止めようと、たまに思いつつ
続けていられるのは
やっぱり私は、
文章を書くのが好きなのかもしれない


というより、
誰かに相談するより、
自分で思うことを書いていくうちに
すっきりするタイプなのだと思う。

(今までは、紙に書いていたけど
 今は、パソコンでないと書けない。
 鉛筆をもつのが億劫になってしまった・・・)



パソコンで調べ物とは、

3回忌のお坊さんへの供養のお礼の
上書きは
『御布施』でいいんだっけ??


と、ちょっと念のため


こんなことすら、ネットで調べている
自分に多少、おかしくなる。



続きを読む "紙に書けなくなったので"

| | コメント (14)

2009年6月15日 (月)

6月15日

今日は、随分と私的な日記になるだろう

(ことは、分かっている)


やっぱり、今日は私にとっては特別な日。

そして、何より自分の気持ちを整理したいから

今から何を書くという当てもなく

書き始めるのだから。

(読んで下さる方、ごめんなさい。
 自分のための日記です)

続きを読む "6月15日"

| | コメント (9)

2009年3月11日 (水)

第11回 古民家ビフォーアフター 今日一日。

続きを読む "第11回 古民家ビフォーアフター 今日一日。"

| | コメント (10)

2008年12月31日 (水)

母の年 (ビフォーアフター第10回)

今年も終わってしまう・・・

母の年が終わってしまう・・・・

今年の半ばまではまだ、母は生きていた。

これで年が明けたら、母のいない年になってしまう・・・

どんどん母が遠くにいってしまう・・・



ここ2~3日、そんなことを考えていた。

結構、私って感傷的なんだな・・・

続きを読む "母の年 (ビフォーアフター第10回)"

| | コメント (4)

2008年6月25日 (水)

最高にかわいいほっこりさん(第9回ビフォーアフター)

Photo_9

実はずっと、あせっていた。
早く、ゴミ処理場に行かなければと。
間に合わせなくてはと。


『こんなことを考えてはいけない』
そう思いながら、いつも
実家の片づけをしたきた。

『こんなこと』とは、
「お葬式を出すことになった場合を考え、
 家の中を片付けておかなければ」

ということだ。

母が生きているのに、
お葬式を出すことを考えている。
縁起でもないし、
とてつもなく、親不孝ものに思えた。
しかし、口に出してはいけなくとも、
準備をするのは、自分しかいない。
覚悟をしておかなければとも、考えていた。


2度目のゴミ処理場に行けた時は
とりあえず、ホッとした。
(それでも、まだまだ家の中に
 不用品の山はできていたが
 あとは、すこしずつやろうと、考えていた)

そうして、ゴミ処理場に行くのを
待っていたかのように、
その4日後、母は亡くなった。


5月の連休が終わったあたりに
医者から母の経過が思わしくないと、話をされた。
肺炎のため、入院していたのだが
呼吸器はつけているものの
特に苦しそうでなく、
静かに横たわっている母なので
また、良くなってくれるものと信じていた。


しかし、食事も誤飲を恐れ与えられなくなった。
点滴だけで大丈夫なのだろうか?
でも、母が特に苦しんでいる様子も見せないので
見守るしかないのだ。
点滴をしているのだから、大丈夫だと
信じるしかなかった。


それから1ヶ月は
奇妙に落ち着いた日々だった。
混乱していた父も、いつしか
母の状態を静かに受け止めた。
母に会いに行く以外は
みな、いつも通りの毎日を送った。

不思議に平和で穏やかで
いつまでもいつまでも、その時間の中にいたかった

私、だんな、父 3人で
3人を思いやって暮らしていた。
もちろん、母のことも。
何も話さない母だけど母がいるから、
この穏やかな時間が保たれているのだと思った。

時折、
「人は何日食べずにいられるのだろうか??」
と、考え怖くなるが
母に伝わるから、怖がってはいけない。
母を怖がらせてはいけない。
いつも通りに「大丈夫だよ」と
声をかけ続けようと思った。


亡くなったときは、突然だった。
あまりにも、突然で信じられなかった。


しかし、
母が亡くなってから後の時間は
怒涛のように、過ぎていった。
亡くなって10分後には、
もうやらなくてはいけないこと山積みで
泣いていられる時間さえ、
なかなか捻出できなかった。


父はもう、混乱し
何も判断できない状態になっていた。

隣近所との付き合いをほとんど経験していない。
もちろん、諸々の法事なども
親がいるため、何もしたことがない。
そんな本当に世間知らずの私がいきなり
お葬式の手配をすることになった。


訳のわからないまま、押し流されるように
どんどん、物事は進んでいった。
当日は一日中、走り回っていた。
でも、言われるまま動くだけで
何がどうなっているのかは、全くわからなかった。


実家は古くから住んでいるので
特に、隣組の制度がばっちり残っていたし
親戚の方も、父が長男のため、
叔母たちには、「実家」「本家」という意識が強いため
かなり、段取りに関して、
見方が厳しいように私には感じられた。

母の死よりも、
隣組、親戚の人達の一言、一言が
心につきささり、
辛くて泣いていたぐらいである。

(少しひがみっぽくなっていたのであろうか??
 今、思うと我慢できるかもしれない。
 それにやはり、
 私ひとりでは、段取りなど組めなかったのだから。
 仕方のないことかも、ね。)


母のことで、思いっきり泣けたのは、
通夜の晩に、(私、だんな、父、母)
4人だけになった時と、
お棺に釘を打つ時である。


前日、母を棺に納めた時に、
「何か一緒にいれてあげるものはありますか?」
と、聞かれたが
何も入れるものがみつからなかった。

母の指輪を、父に預けておいたのだが
父は混乱し、「知らない」というのだ。

「生前、持っていたものとかは?」とも聞かれたが
なんということだろう!!
親不孝の私は、母のバックを捨ててしまった。
カビが生えていたから。
(母は、5~6年病んでいた。
 痴呆をわずらったため、
 バックを使っている姿は、遠い記憶となっていた。)


家を片付けるときに、不謹慎な私は
母が亡くなったら、捨てられなくなるから
 母がいるうちに、
 なるべく母のものは処分してしまおう。
 母に必要なものは、新しく買ってあげればいい』

そう、思い
母のものは取っておきたいモノでも
思い切って、捨てた。
お棺に入れてあげようなんて、思いつきもしなかった。


親戚の人が
「着物は?」と教えてくれたが
着物を着た母は、ピン来なかった。
ここ2~3年の母は、
(介護ホームにいたため)トレーナー姿がほとんどだった。

奇跡的に、私がどうしても捨てられなかった
母のベージュのスーツがあったので
それをお棺に入れた。

係りの人は、
「また、明日お別れの時にも、入れることができますから」
と、言ってくださったので、
考える時間ができた。


皆は、「テディベアを入れてあげれば」というが
私には、それは絶対にできなかった。
生贄のようでかわいそうすぎる。

そうだ!じぶんで編んだ帽子を入れてあげよう
そう、思いついてホッとした。



母のためのモノを見つけていると
作ったのはいいけれど、
小さすぎて使っていない小物が目についた。
「母にいいかも!」と、思うが
なんだが、要らないものをあげるみたいで気がひける。
他の自分が大切にしていたモノを
選ぼうと思うものの
母には、
その使っていなかった小物の方が似合う気がした。
感傷的になっている私は
「もしかしたら、この使っていないモノたちは
 母にあげるために作ったのかもしれないな」と
思い直した。

そうして、手編みの
グレーの冬用帽子と、
ピンクの春用の帽子と
若草色のバブーシュカと
青の花柄の布バックを入れてあげることにした。


「かわいいおばあちゃんになるのが夢」
という人が多いが、(私もそう)
母は中身はどうあれ、
よく人から
「かわいいおばあちゃんですね~」と言われた。
ホームの人もよく「かわいい」と言ってくれた。
中身はどうあれ。
(中身は意固地でわがままなのだ)


身長が130センチ台で、腰もまがっておらず
肌が白く、しわも少ないので
外見的にはかわいく見えるのだろう。

その母に、ピンクのお花の飾りのついた
手編みの帽子は、すごく似合っていた。
若草色のバブーシュカを首にまき
小さな花柄バックを手にもたせた。


すごく、すごく、かわいかった。
元気な母なら、
絶対に恥ずかしがって嫌がったかもしれないが
おあいにく様、私には、ホームでの
パステル色のトレーナーや帽子を身につけた母が
目の奥に焼きついている。。
絶対、地味な着物より、かわいい色の方がいいはず。

案の定、すごく似合っていた。
私が女として、嫉妬するくらい
きれいだった。


「最高のほっこりさんを演出できたよ。」
「最高のほっこりさんだよ!!」


そう、だんなに言った。
いとこにも、自慢した。
近所のおばさんは、「手編み?」といって
眺めてくれた。


学生の頃、母にマフラーを編んであげると
約束し、結局完成しなかったことがある。
母は楽しみにしていたかもしれないなぁ~。
遅くなってしまったけど、
自分の作ったモノを持たせてあげてられて
よかった。

出来ることなら、
このかわいいほっこりさんと、
この格好でお出かけできたらどんなによかっただろう

なんでもっと早く、
気づいて着せてあげられなかったのかな?
それだけが、(その他も)
心残りだったけど
さすがに、生きている時では
母が恥ずかしかったのかな?

最後に母が私のわがままに付き合ってくれたと
思うことにして、諦めよう。




追記
写真は、介護ホームの人が撮ってくれた
父と母が手をつないでいる写真です。
写真のようにいつも仲良しの2人で
ホームの人や近所の人に
いつもひやかされていました。

まだ、しばらく
母のことで色々雑務があったり
私の気持ちも落ち着かないため
ちょっと、お休みします。
また、再開しましたら、よろしくお願いします。

ブログランキング・にほんブログ村へ 
        ←1クリックよかったらお願いします。

Antique Sampler トップページへ

| | コメント (7) | トラックバック (0)

第8回私の古民家ビフォーアフター実例~再度ゴミ処理場~

Photo

不用品大量処理計画 第2回目

第7回 私の古民家ビフォーアフター実例 ~未知との遭遇~
より、つづく


外の物置にあったものを処分。
なんだってこんなものが
 (取ってあるのか)」と
思わずうなる品々が次々と発掘される。

おかまは、思わずとっておきたくなったが
1つを残して、処分(ばっちい)

(写真は
 ゴミ処理場に並べられた我が家のゴミ)


雑誌等は、
イマドキのちり紙交換の人は
持っていってくれない。
(雑誌はリサイクルできないらしい)
ゴミ処理場にもっていこうと
まとめていると、
どこからともなく近所の人がやってきた。

そして、「自分でひきとる」と言い出すのだ。
以前にも何度か、雑誌をまとめていると
どこからともなく現れては、
持っていってくれた。
Photo_4

しかし、今回は人間の心理として?
ゴミの総重量がどこまでいくか
高い数字をあげてみたいのだ。

本の重さにはかなり、期待していたのに。

そして、その中には
今回は学生時代のノートとかも
混ざっているため
私としては、一刻も早く
焼却処理をしたかったのだが、
押し切られてしまった。
近所のおじさんは、台車も用意し
全て持ち去ってしまった



(そんなことは無いと思うが)
万が一、今でも私のそのノートが現存し
クダラナイ書き込みなどあり、
それが
人目に触れるかもしれないと、考えると
とてつもなく、憂鬱になる・・・

Photo_5

写真は、生ゴミの穴。
前回の不燃物の穴よりも
はるか果てしない世界が広がっていた。
間違っても、この中には落ちたくない。

今回の結果。
健康診断の数値を見るようで、ドキドキする。


Photo_6   

結果は330kg。

この数値だけでも、
1件の家が出す量としてはすごいと思うのだが
私はまだ、
「本があればなぁ~」
「本があれば400キロはいったのになぁ~
」と
いつまで経ってもあきらめられなかった。

(つづく)

ブログランキング・にほんブログ村へ ランキング、参加しています。
        ←1クリックよかったらお願いします。

以前の記事、及びこの続きは
カテゴリー 『古民家ビフォーアフター』で読めます

最高にかわいいほっこりさん(第9回ビフォーアフター)
につづく

Antique Sampler トップページへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)